初めまして!
ゆきちです。
本日は Web サイトにお越しいただき、ありがとうございます。
「不妊治療を続けたいのに、お金が足りない…」
そんな悩みを抱えていた私が、在宅ワーク副業で稼いで不妊治療を続けることができました。
今現在は不妊治療も成功し、2人の子供に恵まれました。
ここでは、不妊治療とお金の両立に悩む人に向けて、
どうやって在宅ワーク副業を始め、どうやって軌道に乗せたのかを発信していきます。
そもそも、自分が不妊治療をしないといけないなんて1ミリも思っていませんでした。
ある日、私は胸にしこりがあることに気が付きました。
病院に行き、いくつか検査を行った結果、「妊娠できるのはあと1,2年です」と告げられました。
原因は『AMHが低い』ことでした。
その時私は27歳で、すでに社会人でしたが、4歳年下の夫はまだ学生で私たちは結婚もしていませんでした。
まさかの宣告で頭が真っ白になり、まだ若い夫のことを思うと、別れた方がいいのかなとすごく悩みました。
恐る恐る夫に伝えると、夫は迷わず「急いで結婚しよう!」と言ってくれ、私たちはその言葉通り、夫が卒業と就職をした後に結婚し、すぐに不妊治療を始めました。
そこで私たちに待っていた壁は「多額の不妊治療費」でした。
私の時はまだ保険適用になっていなかったため、1回の体外受精で40万円以上。
(保険適用になっても、本当治療費高いですよね…)
夫の月収は20万円、私は扶養内のパートで月収10.5万円。
生活はなんとかできるけど、不妊治療には1回40万円以上…。
「このままだと貯金が底をつく」と思い、支出を徹底的に見直しました。
(※具体的にどうやって支出を減らしたのかは、こちらの記事です!)
その結果、毎月夫の月収のみで生活することができるようになり、私のパート代は全て治療費にあてることができました。
しかし、毎月10万円を治療費にあてたとしても1回の体外受精で40万円以上かかるため、貯金を切り崩しながらの治療となりました。
あああ
貯金が底をつけば、不妊治療を続けることすらできないーーー。
あああ
そのため、何としてでも収入を増やすしか治療を続けられる道はありませんでした。
私はその時扶養内で、飲食店とアパレル店のパート勤務をしていました。
パートの勤務時間を増やすか、辞めて正社員で働く。
そうすれば、もちろん収入を増やすことはできました。
しかし、無理して働くのは、体が負担をかかるので何としてでも避けたかった。
毎日不妊治療のことを考え、辛い思いをしているからこそ、やれることは全てやりたい。
人間関係でストレスを感じたくない。
立ち仕事で体に負担をかけたくない。
不妊治療を成功させるためには、ストレスフリーにならないといけない。
そこで、立ち仕事であるパート時間を増やして収入を増やすのではなく、
座って仕事ができて、好きな時間に働ける『在宅ワーク』であれば、不妊治療と両立しながら収入を増やせるかもしれない。
そう思い、私は『在宅ワーク』について調べました。
もし、在宅ワークが叶えば体に負担をかけず、収入を得ることができる。
そして、子どもを授かるための環境を用意するべく在宅ワーク副業を始めることを決意しました。
私は、不妊治療の費用を考え、まずは「月10万円の収入」を目標にしました。
毎月貯金を切り崩すのではなく、『副業で10万円をプラスできれば、不妊治療を続けるための資金になる』と考えたからです。あああ
そうして、私は在宅ワーク副業で月10万円の収入を目標にしました。
あああ
在宅ワーク副業で月10万円の収入なんて頑張ればすぐにできるだろうと思っていました。
しかし、現実はそんなあまくはありませんでした。
営業代行や物販などに挑戦したものの、全く稼げず、何度も挫折しそうになりました。
ですが、在宅ワーク副業で月10万円の収入という目標を達成しました。
そんな私がどうやって、在宅ワーク副業で月10万円の収入という目標を達成できたのか。
今回の記事では、
そんな私が、どんな人生を歩み、どんな経験を経て「在宅ワーク副業で月10万円」を達成したのか。
まずは簡単に自己紹介をさせてください!
基本情報
- 名前:ゆきち
- 生年月日:1992年4月22日
- 家族:夫・息子2人
- 職業:在宅フリーランス(オンライン秘書)
- 趣味:旅行、走ること
生い立ち
小さい頃から走ることが大好きで、中学からは本格的に陸上競技を始めました。
そこから社会人まで陸上一筋の生活。
勝つために必要だったのは、徹底した体作り。
私は勝ち上がっていくために、体を絞り、体脂肪率を12%まで落としました。
しかし、その経験が後に「AMHが低い」という結果につながる可能性があったなんて、当時は思ってもいませんでした。
突然の宣告。「妊娠できるのはあと1,2年です」
当時26歳。
私は、世界一周の船旅に行きました。
その船旅からの帰国後、もっと世界中を旅したいと思い、何個もバイトを掛け持ちして働いていました。
そのバイト先で、1人の男性と出会いました。
それが後の夫で、夫は4歳年下でこの時はまだ学生でした。
私たちは意気投合し、お付き合いすることになりました。
ある日、胸にしこりがあることに気づき、病院に行きました。
そこでいくつかの検査を行った結果、医者から
「妊娠できるのはあと1,2年です」と急に告げられました。
胸のしこりは、通常通り生理はきていたものの、排卵が半年以上もされていなかったとのことで、生理の際にくる胸の張りがたまりに溜まってしこりになっていたとのことでした。
このことが分かり、追加で検査を行ったところ、AMH が低いということが分かりました。
まさかの宣告で頭が真っ白になりました。
すぐに『AMH』について調べまくりました。
・AMHって何?
・なんで私はAMHが低いの?
・『妊娠できるのは後1,2年』と言われたけど、妊娠はできるの?
あああ
AMH(抗ミュラー管ホルモン)とは?
卵巣の中にどれくらい卵子のもと(原始卵胞)が残っているかを示す数値のこと。
AMHの数値が高い:卵子のもとがたくさんある状態。
AMHの数値が低い:卵子のストックが少なくなっている可能性が高い状態。
あああ
しかし、「AMHが低い=妊娠できない」というわけではありません!
ですが、卵子の数は生まれた時からすでに決まっており、毎回の生理で排卵があるため、卵子の数は減っていく一方。
そのため、卵子のストックが少ないということは、妊娠を目指せる年数が限られてくることになります。
できるだけ早く妊娠を目指すことが大切になってくるのです。
ただ、なぜ私がAMHが低かったのかは、もちろん絶対的な要因かは分かりませんが、思い当たるものとしては『体重の急激な増減(リバウンド)』でした。
AMHが低い原因として、体重の急激な増減(リバウンド)が影響する可能性があるといわれています。
私は陸上をやっていた時、体脂肪率を12%ぐらいにまで体を絞っていました。
その後、引退して3ヶ月半の船旅に乗船しました。
ただでさえ引退して運動量が落ちるところに、船上の生活。
船上では限られた範囲でしか身動きが取れないため、かなり運動量が減り、激太りしてしまったのです。
さらに、下船した後は、バイトの掛け持ちでずっと働いていたのでご飯も食べたり、食べなかったり。
その結果、今度は体重が激減し、陸上をしていた頃と体脂肪率は違えど、体重は戻りました。
このリバウンドがAMHが低い原因だったのかもしれないと思うと、後悔と申し訳なさでいっぱいになりました。
夫はこの時22歳。夫のことを思うと、
『まだ若いのにすぐに結婚しないといけなくなる。しかも、私のせいで子どものいない未来になる可能性だってある。』
別れた方がいいのかとすごく悩みました。
悩んだ末、恐る恐る夫に伝えると、夫は迷わず『急いで結婚しよう!』と言ってくれ、私たちはその言葉通り、数ヶ月後に結婚し、すぐに不妊治療を始めました。
妊娠、そして流産。
最初は排卵誘発剤を使ったタイミング法を行いました。
すると、1回目で妊娠することができました。
しかし、喜びも束の間。
胎嚢は確認できましたが、心拍を確認することができず、『稽留流産』と診断されました。
たった数週間でも、エコーで見るたびに愛おしかった赤ちゃん。
『流産』という現実はすぐに受け入れることは難しく、すごく辛かったです。
赤ちゃんは手術で排出予定でしたが、自然に排出されました。
この経験をしたことで、妊娠することの難しさを改めて実感しました。
とても辛かったですが、時間が限られていることや、改めて赤ちゃんを授かりたいという思いが強くなり、不妊治療をすぐに再開しました。
立ちはだかる壁「多額の不妊治療費」
次は人工授精を行いました。
人工授精は合計で3回行いましたが、妊娠することはありませんでした。
そのため、ステージを上げることになり、体外受精を行うことになりました。
体外受精では、受精卵の凍結保存ができるので、妊娠するためには不妊治療を続ける必要があるものの、少しでも妊娠のチャンスを延ばせることにホッとしました。
「もう時間がない…」と思っていましたが、未来への可能性が残せると知って、少しだけ気持ちが軽くなったのを覚えています。
そこで私たちに待っていた壁は『多額の不妊治療費』でした。
私の時はまだ保険適用にはなっていなかったため、1回の体外受精で40万円以上。
収入とのバランスを考えると、このままでは続けられないと思いました。
通帳の残高がどんどん減っていくことに恐怖を感じ、
あああ
このままでは貯金が底をつく。
貯金が底を尽けば、不妊治療を続けることすらできないーーー。
あああ
このままではマズイと感じ、まずは支出を徹底的に見直しました。
その結果、毎月夫の月収のみで生活することができるようになり、私のパート代は全て治療費にあてることができました。
しかし、毎月10万円を治療費にあてたとしても1回の体外受精で40万円以上かかるため、貯める金額以上に治療費がどんどん出ていく状態でした。
支出を減らすことで負担は軽くなったものの、それだけでは追いつかない。
『治療を続けるためには、支出の見直しだけでは限界がある。収入を増やさなければ、この先やっていけない』
そのため、何としてでも、収入を増やすしか治療を続けられる道はありませんでした。
私はその時扶養内で、飲食店とアパレル店のパート勤務をしていました。
パートの勤務時間を増やすか、辞めて正社員で働く。
そうすれば、もちろん収入を増やすことはできました。
しかし、無理して働くのは、体が負担をかかるので何としてでも避けたかった。
毎日不妊治療のことを考え、辛い思いをしているからこそ、やれることは全てやりたい。
人間関係でストレスを感じたくない。
立ち仕事で体に負担をかけたくない。
不妊治療を成功させるためには、ストレスフリーにならないといけない。
そこで、立ち仕事であるパート時間を増やして収入を増やすのではなく、
座って仕事ができて、好きな時間に働ける『在宅ワーク』であれば、不妊治療と両立しながら収入を増やせるかもしれない。
そう思い、私は『在宅ワーク』について調べました。
もし、在宅ワークが叶えば体に負担をかけず、収入を得ることができる。
そして、子どもを授かるための環境を用意するべく在宅ワーク副業を始めることを決意しました。
私は、不妊治療の費用を考え、まずは「月10万円の収入」を目標にしました。
毎月貯金を切り崩すのではなく、『副業で10万円をプラスできれば、不妊治療を続けるための資金になる』と考えたからです。あああ
そうして、私は在宅ワーク副業で月10万円の収入を目標にしました。
あああ
在宅ワーク副業で月10万円の収入なんて頑張ればすぐにできるだろうと思っていました。
しかし、現実はそんなあまくはありませんでした。
営業代行や物販など色々とやってみましたが全然稼ぐことができず、何度も『無理かもしれない』と諦めそうになりました。
しかし、お金が理由で不妊治療を続けられないなんて嫌だし、取り返しのつかない後悔はしたくない。
やれることは全てやって、子どもを授かりたいと思いました。
なので、諦めるわけにはいきませんでした。
その結果、時間はかかりましたが、在宅ワークの副業で月10万円の収入という目標を達成しました。
そこからはお金の不安を少しでも減らした状態で不妊治療を続けることができ、約1年半の不妊治療を経て無事に授かり、出産することができました。
最後に
このブログでは、在宅ワークの副業で月10万円を稼ぐ方法をはじめとして、不妊治療での実体験や、マインド、FP目線での家計の見直し方など多岐にわたってお伝えできたらと思っています。
私と同じように、不妊治療を続けたいのにお金の不安がある方に、このブログが少しでも役に立てたら嬉しいです。
1人でも多くの方が、金銭面で『不妊治療を諦める』という選択肢をしないでいいように。